2012年6月20日
過去に向かい合う
2012年は、5月から始まるということでしたけど、
あぁ、やっぱり、いろいろと変わってきているな、と自分でも思います。
そして この6月というのは、
ちょっと行きつ戻りつしている感じがあり、つかみどころがないようです。
もどかしさもありつつ、一進一退という感じかなぁ・・・。
個人的には、最近、「自分にとっての懐かしいもの」に
再会することが多いんですね。
たとえば ひょんなことから、社会人になって
一番最初に就職した会社に、突然伺うことになりまして。
同期の仲間が、今も数名、勤務していて、びっくりしましたけど(^^;)
自分が OLだったころを、懐かしく思い出しました(笑)
あの頃の楽しみといえば、週末のコンサートだったっけ。
地方遠征も、結構していましたけど(ははは)。
そこを退社した後は
新幹線や飛行機に乗って
半分以上の都道府県を渡り歩き、
海外にも40回近く出かけ。
引越しを繰り返し、京都市、大阪市、横浜市で一人暮らし。
同様に 事務所もほぼ2年半置きに移転。
仕事では ゆうに1万数千人の方の人生の岐路に立ち会い・・・。
挙句の果てに 人様の前で話なぞするようになり・・・(@o@)/
あの頃には 想像もできなかった自分がいます。
当時は 本当に、自分の身の周り、半径5メートルのことしか、
見えていなかったし、それだけで精一杯でした。
それがどうでしょう。
20年もたてば、国家を論じる青年政治家の声に耳を傾け、
子どもを持つお母さんたちと一緒に 日本の未来を憂い
ココロや魂にアプローチするためのイベントを、
アウェイの地域で仕掛けたりして。
遠くの未来、とか 次世代に残すべきものは、とか
真剣にそういうことを考えるようになってたりして。
・・・伊達にトシは取っていなかったってことですなぁ(苦笑)
まぁ、そんな、詳しいところまでは 久しぶりにお会いした、
かつての上司にお話しする時間はありませんでしたけど。
ふと気がついたら、自分の記憶にある当時の上司の年齢よりも、
今の自分の方が、上になっていたのでした(苦笑)
しかも、当時、係長だった上司は、数年前に定年退職しておられて
今は嘱託で勤務されていました。
・・・いやぁ、20年ですもんね。
そりゃそうだ。
でもまぁ、トシを取るのも、悪くないな、とも思いました。
個人的にはたぶん、充分、これまでも
自分らしく生きてきたので
もしかして明日、「お迎えに来ました」とか言われても、
気持ちの上では、思い残すことって、そんなにはないのですが、
(いえ、だけど 果たさねばならない責任が残ってるのは分かってます)
まー、何が起こるか分からないこのご時世、
いつだって真剣勝負さ、と肝に銘じて生きていたら、
あとは、やりたいと思うことを、思う存分、やるだけです。
20代の頃と大幅に違うのは、30年先の可能性が
あの頃とは違って、
もうそんなに確かなものとしては存在しないということです。
10年先、20年先、ということを考えたとき、
その未来にあるものは、
上り坂ではないことを
痛感するようになったことです。
もちろん、50代、60代、70代になっても、
とてもお元気な先輩達の姿をたくさん拝見するし、
自分もそういう年の重ね方をしたいと思います。
そのためには、やはり、日々を楽しく生きることを
積み重ねていきたいと思う。
この『楽しい』と感じる次元が、20代とはまったく違うことも一つですけど。
・・・ふと振り返ると、果たさなねばならないと思っていた義務も、
立ち位置も、背負っていた荷物も、全部幻のように、消えていました。
昔、あんなに、必死で背負わねばならないと思っていた状況は、
「実戦訓練」という名の、リハーサル空間に過ぎなかったのです。
そういった過去に体験した事がらの全部を引き受けて、
すでにサイズが合わなくなってしまったもの 不要になったものを清算し、
この先に残したいもの、深めたいと思うものに、さらにフォーカスを絞る。
きっちりと自分の過去に向かい合い、清算し、不要なものを手放す、
ということが この6月に大切なことなのではないか、と思いました。
17年もの間、逃げ回った逃亡犯が逮捕されたニュースを見て、
あの時代に生きていた自分を思い出しました。
「心の安らぎ」や、「宇宙の真理」を探究していたはずの彼らが
なぜ、あのような末路をたどってしまったのか。
あの頃、同じように、心や魂の世界を求めていた自分にとっては、
彼らの事件は けして人ごとには思えないのです。
世の中はバブルで華やかなりしころ、
片方では
拝金主義、物質主義に疲れていた人たちがいたことも事実です。
「見えないもの」の中に真実を探す人が増え、
「スピリチュアルブーム」が起こったのでした。
あの事件によって「いったい、
何が本当なのか」を
さらに追求せずにはいられなくなりました。
私が個人的にたった一つ、言えることは
「スピリチュアル」を学ぶ、
探求するということは、
この現実の世界を、より幸せに、より自分らしく楽しく生きる、
ということに尽きるということ・・・。
できるだけ、自然や宇宙と調和して、ね。
それがこの20年の間に、私が得た結論です。
お金も、ココロの満足も、ほどほどでちょうどいい。
過度な欲や、過度なミエが人を狂わせる。
当たり前といえば、当たり前のことなんだけど。
その当たり前が、簡単ではないから、人間って、本当にやっかいだ・・・。