2012年2月8日
白紙に戻す旅
今日は、睦月の満月。
太陰暦では、小正月にあたる時期だそうです。
ふと思い立って、自分自身が、次のシフトに入るために
ちょっとリセットするための時間を作ろうと思い立ちました。
そうは言っても、結局、行きたくなってしまうのは
相変わらず 神社 なんですけど(笑)
かねてから行きたかった大分の宇佐神宮。
ここは、全国の八幡社の総本宮で
奈良時代に和気清麻呂公が、皇位に就こうとした
道鏡の陰謀を打ち砕くべく御託宣を受けた神社だそうです。
大阪から空路で大分空港へ。
さらにバスで1時間ほど。
幸か不幸か、アクセスの悪さが、この聖地を昔ながらの
空間にとどめています。
伊勢神宮にも劣らぬほどの広大な敷地に加え、
冬の張り詰めるような空気、さらに平日の人けの少なさに(笑)
うきうきと歩みを進めたのでした。
参道に続く10軒ほどのお土産屋さんも、
店番のおばあちゃんの笑顔のように、素朴でほほえましい趣きです。
ほかほかとおまんじゅうを蒸す湯気や、甘酒の香りが心地よく(^^;)
いつもなら境内を歩く時間を計り、キンキンにアンテナを張って
おいしいお店を探すツアーの下見となるところですが、
この日はまったくそういう目的はなく、
純粋に参拝するためにお伺いしたのでした。
普段はたくさんの方々とご一緒に受けるご祈祷も、
今回は自分自身のためだけに
受けたので、ちょっといつもとは調子が違い・・・(^o^)/
思い起こせば、2年半ほど前に、
大きな決断をして独り歩きを始めてからというもの、
とにかく無我夢中で走ってきました。
昨年度の決算も終わり、税理士さんにも銀行さんにも
「このご時世ながら・・・」とお褒めの言葉を頂戴したので、
ちょっとだけ、自分にご褒美をあげたくなったのと、
それもこれも、いつも見守っていただいている目に見えない方々に
何か、お礼の気持ちをお伝えしたくなったのです。
この、守られている、という感覚が、自分の中で
揺るぎないものになったのはいつの頃からでしょうか。
何かに、誰かに、というよりも、拠り所となるのは自分自身であり、
また、自分に課せられたことを実直にあるいは愚直に、
淡々と続けてさえいれば、もう何も恐れるものはないのだ、と
いう境地を得たのです。
もちろん、人間としての悩み事や、苦労はそれなりにあるわけですが、
そういうことは当然のこととして、もう余計なことに迷わなくなったのです。
それが分かると、周囲に無理に自分のことを
「わかってもらおう」とする必要はありません。
今の自分に必要なだけの経済が回ることが理解できれば
(要はエネルギーの循環なわけで)
必要なことも、また不要なものもよく分かる。
20代そこそこの頃、スピリチュアルな世界に導かれたころから、
私が得たいものは、この「境地」だったのだと、最近つくづく思います。
よくわからないのですが、何か今年は「節目」のような気がします。
巷では、「2012年」ということで、いろいろ言われていますが、
もう、そういうことはどうでもいいなぁと最近思います。
なるようにしか、ならないではないですか(^^;)
地震が来たとしても、「その時に何処にいるか」は、運ですから。
地震だけでなく、一歩外へ出れば、車の事故や、
急な病気で倒れることだっていくらでもあるわけです。
人間、一寸先は、闇。
だとしたら、「一瞬一瞬を丁寧に生き、明日、死んだとしても悔いはない」
そういう思いで、日々を生きるだけです。
お金や、天災の不安を抱き、おどおどして暮らすくらいなら
今、目の前にいる人に喜んでもらったり、
元気になってもらえるようなことを
少しでも多く行うほうが、よっぽど幸せではないでしょうか。
あるいは、今日も元気で、家族や友人とおいしいご飯が食べられるなら、
それで100点満点ではないでしょうか。
当たり前の幸せの大切さを、昨年、私たちは嫌というほど、
思い知らされたのではありませんか。
日常を、普通の生活を、丁寧に生きる。
そういう日々の暮らしにこそ、尊い「光」があるのです。
・・・ということで、
もう少し、九州でのリセットの旅を続けますが、
便利なことに、日本中、パソコンと携帯電話があれば、
いくらでも仕事ができますので・・・(*^o^*)
あと数日、ゆっくりリセットして来ます〜☆