2011年3月20日
PRAY FOR JAPAN
思ってもみなかった事態に、日本中が巻き込まれてしまいました。
阪神大震災、中越地震、宮城県沖地震などを何度体験していても、
ここまでの事態になるとは、誰にも想像ができなかったと思います。
まさにこのような場面でこそ、一人一人が自分の意思と哲学によって行動していくことが、
求められていると思います。
だから、大事にするべきだと感じる力点が、
それぞれに違うと思います。
過去20年以上も、
スピリチュアルの世界を通じて私は自分の世界観を確立することを学んできました。
これまでに学んだこと、
これまでの人生で積み重ねてきたこと。
そういうことが、全部、こういう場面でこそ放出されるのだと思います。
1995年の阪神大震災を体験して、つくづくと私が感じたのは極限状態の中で、
どういう自分でいられるかということでした。
助け合おうとする側か。
自分さえよければ、と思う側か。
二つに一つ。
それだけでした。
人のものの見方、視界というのは、
それぞれの置かれた立場や立ち位置など、
ある意味、その「標高」によって違いがあります。
ですから人はその標高で判断し、それが行動に現れます。
互いの目線が違うとか、正しいとか正しくないとか非難や評論をしているよりも今は、
自分自身の価値基準によって、最善だと思われることを選択し続けていくだけなのだと、思います。
いろいろな情報がありますが、それらの採用・不採用は
自分の哲学や信念によって、
決めればいいだけだと思います。
答えは自分の中にあるのだと、もう何年も何年も前から
ずっと、言われてきたのですから。
もう、十二分に学んできたはずです。
誰かに依存し、誰かの言葉を盲信するのではなく、
自分で判断し、自分で選択し、自分で責任を取る。
過去に例のない未曾有の事態、極限状態の中であるからこそ
一人一人に、
それが求められているのだと思います。
ただ知っているだけ、データを集めただけの「知識」ではなく
本当の「智恵」にしていくのは、
ひとえに行動力と実践力なのだと思います。
走りながら、考えながら、瞬時に最善を選択して行動し続ける。
サバンナの動物たちのように
自然界で、生き抜くとは、そういうことなのだと思います。
最後に・・・。
日本人の助け合いの精神に、世界中から
驚愕と、賞賛の声が寄せられています。
PRAY FOR JAPAN。
どんなに考え方の相違はあっても
平和と復興への「祈り」の力は
すべての人々に共通するものではないでしょうか。