2010年12月6日
一からやり直し
怒涛のような、2010年もあと残りわずか・・・。
あと3週間ばかりになる。
今年は本当に、とにかく新しい出会いの連続だった。
何処へ行っても、何もかもが新鮮で、楽しかった。
夏は暑いさなかを神社仏閣をめぐったり・・・。
しばらくぶりにパスポートも手にして、渡航もした。
香港もシンセンも、ものすごくいい刺激になった。
その後、くだんの尖閣列島の件が勃発して、
日本とは?中国とは?をずいぶん考えさせられた。
改めて思うけれど「日本」、この「日出ずる国」というこの国に、
生まれたことをいろいろと考えさせられる。
つい先日、とあるワインパーティに出かけて、
ドイツやイタリア、フランスのワインを何種類も堪能させていただいた。
合間にはオペラやジャズも聴けて、歌い手はもちろん日本人。
それを見ながら思ったのだ。
つくづく 日本人とは、異国の文化を吸収するのがうまい。
会場では、美しくドレスアップしている方も見かけたけど
残念ながら、
自分も含めて着物姿が見当たらいない。
その数日前に「龍馬伝」を1年間、見終えたばかりで、
「異国と日本」についていろいろと考えていたので(^^;)
日本人は異国の文化もさらりと自分のものにしてしまう。
明治の時代から、どんどん西洋文明を取り入れて、
とにかく必死で追いつこうとした近代日本の結果を見せられた気がした。
ワインの次は、日本酒の利き酒会とかいいのにな、
とほろ酔い気分で思ったのだった。
この一年、「光を観る旅」や東洋思想や古事記など、
日本の歴史や神道などについて突き詰めて学ぶ機会がものすごく増えたのだ。
不思議なことに、周囲からそういう情報が押し寄せてくる。
さらには、「スピリチュアル」を追求すればするほど、日本の「神道」や「天皇」、に行き当たるのである。
「繊細な精神性」を追求すればするほど、
日本という国に戻ってくるのだ。
お茶碗やお椀の成り立ちからしてすごいんですよ!
あと庭園文化とか、茶の湯とか・・・。
いえ、ほんの少し、聞きかじっただけですけど。
でもすごいってことさえ、知らなかったんですから(汗)
だけど恐ろしいことに、この年になるまで通り一遍の歴史しか
学んでいなかったことに、改めて愕然とさせられたのだ。
日本、という、自国のことをほとんど知らなかったことに自分でも驚いたのだ。
だいたい、学校の授業で、日本の歴史のことを
「日本史」という呼ぶこと自体が、おかしいらしい。
アメリカでもイギリスでも自国の歴史のことを
「ナショナル・ヒストリー」=国史と呼ぶのだそうだ。
アメリカ史、イギリス史、というのは、他国の人間が客観的にその国の経緯を知るために、
学ぶものであって日本の歴史はあくまでも「国史」と呼ぶべきもの・・・だと、
この年になって初めて知った。
・・・てことは、日本人は自国の歴史を客観的にしか教わっていないってことですか。
「はい、そうです。」
ひょえ〜〜 (@o@)/
「国史というのは、この国は素晴らしい国ですよ、
という自国に対する誇りを尊厳を学ぶ時間であってですね。
アメリカもイギリスも、中国も そういう教育をしているんです」
「・・・・・・」
絶句。
そういうことか。
だいたい、自分の芯や核になるものがなくて、
どうやって他者との付き合いなんかできるのだ。
それは個々人の精神性から、かんがみてもわかることだ。
自国というものを知り、自国に対する誇りとプライドがあるから、
外交で堂々と異国と渡り合えるのではないか。
個々人のレベルでも同じだ。
私のつたない体験でも、
「いいもの持ってるのに彼(彼女)はもったいないなぁ」という
言動を繰り返す人は、『自分』というものを持っていない。
自分自身をわかっていない。
自分の置かれた立場やスタンスを理解できない。
いわんや、その場や立場にふさわしくない言動を繰り返す。
はっきり言えば、子どもなんである。
・・・勉強不足。
(いや。えらそうに言えた義理ではないんですけど・・・)
何処の誰に仕掛けられたのか分からないが、
日本人全体が、その魔法に掛けられているような気がしてならないのだ。
明治維新が起きて鎖国が解かれ、身分制度がなくなり
新政府ができたまではよかったけど。
同時に誇るべき2000年以上の歴史と財産を、あっさりとかなぐり捨ててしまったところに
我が日本の憂うべき現実があるそうだ。
もう一度、一からやり直さないといけないな、
と
今年、改めて痛感したのである。
そうでないとこの国は大変なことになる。
憂いを抱いて必死になって動き始めている人達にも、今年はたくさん本当にたくさん出逢った。
もう一度、一からやり直し。
そのことがわかっただけでも、この2010年を過ごしてきた大きな意味があったのだと
私は思っている。