2010年10月8日
秋の夜長に思う
秋分の日を過ぎて、早いもので、もう10月である。
そういえば、だんだんと日も短くなってきた。
年賀状がどうのこうのと聞こえ始めたし、
来年のカレンダーも発売になったし、
今年も数えたら3ヶ月ないのだった(・・;)
汗る、 焦るぞよ。
・・・とはいえ、この1年を振り返ったら、もう本当に激動の1年だった。
ここ数年を思うと、毎年9月ごろに転機が来ている。
まぁ、数秘学で見ると、8月30日の誕生日からサイクルが変わるから、
当然といえば、当然なのかもしれないが。
そして今年は、何が変わったかっていうと
やはり「人の流れ」だ。
このところ、私的な飲み会が続いている。
ていうか、仕事そっちのけで、いろんな方と交流する場所へとせっせと出向いている。
出向くだけでなく、自ら企画して、こっちにいたあの方と
あっちにいるあの方を、
ちょっとお引き合わせしたりして、それを言い訳に飲み会なぞ段取りしているのだ。
そういうことを続けていくと、なんだか集まった人たちが水面下で知り合いだったり、
間に一人はさんでつながりがあったりで目をまん丸にして驚いたりすることが多いのだ。
ある意味、このタイミングで、こういう場面だからこそ、
やっと会えた、ということなのかもしれない。
そして、ふと直感で思いついた人同士をお引き合わせすると
意外なキーワードでつながっていたりして、
まぁ、それはそれは不思議な「縁の糸」にたぐり寄せられて、出逢っているのがよく分かるのである。
5月からの流れは、それはもうすごかった。
とうとう政治家の世界にまで、首を突っ込んでしまった。
全然かけ離れていると思った世界が、本当に身近なものだったし、
ある意味、ずっと自分が続けてきたことと、
つながっていたのも
理解できた。
「志」を同じくする人々がそこにたくさんいたのだった。
それでそこで得たご縁をまた別の地域に、アシストする動きがあって、
どんどん縁のボールがぐるぐる回っている。
グルッと一周して、ようやくこの10月に着地したようなそんな気がしている。
人と人とが出会うのに、そこに働く「偶然」を私は、「必然」のしかけだと思っている。
思っている、というより信じている。
今、こうしてこの場にいるのも、
その縁のつながりの果てだ。
この1年で、ずいぶん人の流れが変わったけれど、
それもこの22年の徒歩の結果だと理解ができる。
つい先日も、懐かしい、といえる場所で、またある意味での「再会」を果たした。
それは以前にも何度か訪れていた場所だったが、
またある意味でここにもどって来た、そういう感覚だった。
「おかえり」といって、その場所に迎えられたような気がした。
初対面の出会いでもあり、また再会のようでもあった。
きっとここに立つまでの間、必要なトレーニングを積んできた今いる自分は
そういう自分なのだと思った。
その数日前に、ちょうど2011年の計画を立てていた。
先方もまったく同じことをおっしゃった。
そこにスケジュールと思惑が、ぴたっとはまった。
あぁ。
こうして、あらたな一歩を踏み出すのだ、と思った。
この怒涛のような1年はまったく無駄ではなく、
また必要な流れであったと思うのだ。
2010年はもう残りわずかだけれど、
2011年に向かってのスタートダッシュはすでに始まっている。
同じ志を持ち、同じ船に乗る人々と一緒に新たな航海に漕ぎ出すのだ。
たぶん11月の「東国三社めぐり」は、その皮切りになるだろう。
ことこと、毎月、足で作ってきた「光を観る旅」だったが、
自分でも「なんでこんなことやってるんだろう?」と想いながら
続けてきた旅路であったが。
それも全部、一つの線でつながっていたのだった。
11月に予定している東国三社・・・「鹿島神宮・息栖神社・香取神社」は
古いものを壊し、
リセットし、新たなものを創造するという
3つのキーワードを持っているのだそうだ。
三つの神社を同時に参拝することに意味があるのだそうだ。
今年の旅の一つの結節点だと思って計画を進めてきたのだが、
そこに集まるであろう人々の様子が見えかけてきて、楽しみにしているところである。
たぶん来年のために、自分に誓いを立てにいくであろう旅だと
思っている。
2011年という年は、おそらく天上界の神々と地上の人間とが心を一つにあわせて、
立ち働く年であると私は感じている。
鹿島・香取の二つの神宮には陰陽の「要石」がご神体になっている。
人が集う。
場ができる。
そこに何かが起こる。
2010年に積み重ねてきたことが、そろそろこの秋に答えとなって現れる。
そして来年に向けての流れも見え始める。
穏やかな秋の日々であるが、心を魂をとぎすますのにも、また もってこいの秋の夜長である。