2010年9月8日
レパルスベイの天后廟
なんてったって 香港。
日本ではバブル華やかなりし頃、
香港といえば ブランドショッピングの天国だった。
生まれて初めて外国の土を踏んだ。
その時は香港とシンガポールを尋ねて友達10人と出かけた。
あの頃は何にも知らなかった。
ただ毎日をうきうきと過ごしていただけのように思う。
1988年の9月だった。
一番最初に、パスポートを作って出かけた旅だった。
それから11年。
またパスポートを作りに行った。
返還直前の香港。
私はOLを辞め、前年からチャネラーなる仕事を始めていた。
まだまだ駆け出しの頃だった。
在香港の日本人に招かれて、半分観光・半分仕事で香港へ。
1999年の2月だった。
2度とも、レパルスベイという香港島の南に位置する、
海沿いのビーチリゾートにある寺院へ行った。
極彩色が鮮やかな大きな観音様の像があり、
財運に長寿、縁結びに、旅行の安全など、
いろんな神様に一度にお参りできるのが、この天后廟である。
香港という都市もあれから相当、変わっているはずだ。
そりゃそうだ、かくいう私だってそりゃぁ、ずいぶん変わった。
今回、縁あって中国のシンセンという街と香港へ、
急に出かけることになった。
行ってみると過去2回の旅とは変わって、
中国という国の変貌ぶりと反対に日本の憂いを見せ付けられる旅になった。
過去2回の旅とは違い、上り坂の中国と下り坂の日本。
そして世界的に見ても、完全にこれからは覇権は東洋の時代になったことを痛烈に感じたのだった。
思い起こせば、個人的に私は人生の転換期になると、
どうも必ずこのレパルスベイの観音様に会いに来ているような気がする。
何も知らなかった20代のOL時代。
あの後しばらくして、精神世界の探求の旅が始まった。
チャネラーになりたて、駆け出しの30代。
仕事を通じて自分の存在価値を探す旅だった。
そして新たな世界を目指して歩き出した40代。
満を持して独り立ちし、これから私は、何処へ向かうのだろう・・・?
長旅の始まりは、いつも香港なのだった。
2度目に作ったパスポートは、数えてみたら40回近くも海外渡航へお供をしていた。
それも限りなく世界各地の聖地をぐる旅である。
そのほとんどはハワイやアメリカだったと思う。
2008年になり、私はもう渡航が必要なくなったことを感じていた。
それから2年の間、日本国内を私は自分の感性のままに、
それもできるだけ身近にある聖地をこつこつと自分の足で、
歩き回ることを自分に課していた。
そうやって改めて日本の神社仏閣を尋ねてみると、
なんとこの国は神仏に守られた国であったのかと驚くjことばかりだった。
そして「聖地」「パワースポット」といわれる場所も実は、
足元にたくさんあったのだった。
遠くへ遠くへと思っていたけれど、実は足元がきちんと整っていれば、
それでよかったのだと、またこんな簡単で当たり前なことに改めて気づかされたのだった。
それでなんでまた、今回、香港かっていうと。
京都の神社をたずね歩き、遷都1300年の奈良のお寺へ行ってみたら、
「遣唐使」というキーワードが踊っている。
日本で神道と融合した御仏の世界は、中国から伝来したものだ。
1300年の昔、鑑真和上は、12年もの歳月をかけて命がけで渡航し、
日本に仏教を伝えようとした。
この日本という国は確かに、この国の人だけが守り、育ててきたのではなく、
明らかに大陸の人々の影響も多分に受け取り、
その息吹きが脈々と息づいていたことを改めて感じたのである。
・・・理由はわからない。
だけど今回、お声掛けを頂いて「行くなら今だ」と思った。
実は最初から、香港の天后廟を思い出したわけではない。
日程を聞いて、いろいろな情報を追いかけているうちに
浮上したのが「天后廟」だったのだ。
しかも今回は、まったく異業種である、金融関連の視察団に混じってのツアーである。
経済特区であるシンセンという街に入ることが最初の目的だったから、
スピリチュアル色など、どこにもない「はず」だった。
かつて22年前にも11年前にも、訪れたレパルスベイの観音様は
相変わらず海に向かってにっこりと微笑んでおられた。
聞けば香港は、もともと漁民の町で海での安全を願って、
ここに寺院は建立されたのだという。
そして寺院の名前にある「天后廟」とは天后さまの廟。
香港で神様といえば、海の守り神、漁師たちの守り神なのだという。
だから香港の街のあちこちに「天后廟」は存在する。
そんなことを3度目にして、初めて知ったのだった。
香港に滞在した2日間、私は2日ともレパルスベイに足を運んだ。
一度目は「ただいま戻りました。」とご挨拶をするために。
二度目は「・・・さて今度は何処へ行くのですか?」と・・・。
・・・どうも次の長旅の幕が
ここで開いてしまったような気がするのは、私だけだろうか。
観音様は相変わらず無言で、微笑んでおられる。
隣で海の神様の天后さまも、どっしりとお座りになっていた。
そう、たぶん、この先の旅路は
きっと・・・
「神のみぞ 知る」のだ。