2010年6月12日
どっちに行きたいの?
夏至の日が近づいている。
5月とは打って変わって、6月になってから「えっ」と思うようなことが多かったような気がする。
正直に言えば、空気的には両手を挙げて「楽しい♪」感じではなかったような気がするな(苦笑)
全部が全部ってわけではないですけど。
それはもちろん、
いいこともありますよ。
極論じゃないですからね。
だけど、「さぁ、どうするの・・・」的なことも周囲にはあったわけです。
こういうときには、何度も「自己確認」ですよね。
本当の2010年の「気配」になっていくのは、
7月からなので、今はまだ2009年の「動揺」=二つに分かれる、
という「気配」を
引きずっていると。
今月はその最終局面だと、友人のはづき虹映さんも言っていた。
はづきさんのメルマガ(誕生数秘学)
(http://archive.mag2.com/0000111603/index.html)
・・・いやはや、確かにそう思いますね。
たぶん今日の新月あたりまでは、
きついなと思ってる方も多いのではないかと思います・・・。
私も、「最終的にどっちに行きたいの?」ということを
もう一度確認するための2週間だったように思います。
でも、あくまでも自分のやりたいことは、
はっきりしていますけどね・・・。
だからやっぱり、最後にお掃除を迫られるんですか(・・;)
人間て誰にでも心のよりどころってあるじゃないですか。
でも、その「よりどころ」に「よりかかり過ぎた」ら倒れますよね。
最後の最後にこの防波堤が、守ってくれるという何かってあるんですけど。
その防波堤が、あるから落ち着いていられるっていうか。
だけど、その防波堤のそばにいつまでもじっとしていたら、
やっぱり防波堤すらも倒れてしまうんですよ。
それは「最後の手段」だから。
その「最後の最後の安心感」があるから、前に行ける。
この14年あまり、ずーっとそうやってきました。
そうやっているうちに、育っていたものがあるんです。
それはね「自分への信頼」です。
自分自身が、自分自身のよりどころになれたら、
こんなに強いものはない。
どんな曲面も、最後に切り抜けることができる。
この年になるまで、結構、危ない橋も渡ってきたように思いますが(汗)
だけど「最後の防波堤」があったから、走り抜けてこれたと思います。
私の場合、「もうだめだっ」と思ったとき、扉が開くんです。
まるで天に試されるみたいに。
「いやぁー、もう究極!」と思ったときに、
自分の限界値を超えるんです。
その限界値の先には、見たこともない世界が待っていたりします。
まさに「ピンチはチャンス」!!
q(^O^)p q(^O^)p q(^O^)p q(^O^)p
なので、何度かそういう目にあって来たら、
天のパターンが分かってきたので、「もうダメだ」とか「この先 悪い方向へ行くんじゃないか」なんて
絶対、口に出さないようにしました。
(その手には乗りませんよーだ☆って感じです)
第一、心配したって一銭にもなりゃしない。
だって悪い言霊は、楽しくない現実を引き寄せますから。
廻りの人に気付かれないように、できるだけ
ひょうひょうとしている(ように勤めます)。
「自分は運が悪い」なんて、平気で口に出していると、
このご時世、縁起の悪い人は嫌われます。
・・・っていうか、自然に人が引いていく。
強運な経営者の方は、「波動の法則」をよくご存知ですから
「伝染するからそういう人には近づかない」という人だって
いらっしゃるし(ホントですよ)。
あるいは本人には、全くそのつもりはなくても「気配」や「空気」で
それは伝わってしまうんです。
なんとなく、「もう逢わなくてもいいかな」
そう思われてしまって二度と会う機会がなくなる。
いや、もっと自然ていうか・・・
精妙に・・・
逢って、「それだけ」、で終わってしまう。
・・・次が続かないわけです。
「ぜひ、またお逢いしたい」とは思ってもらえない。
あるいは、「ずっと一緒にいたい人」とは思われない。
微妙だけど、その違いは大きいです。
いや、すっごく大きいと思う (!)
(・・・伝わってます???)
誰だって、「縁起のいい人」に逢いたいわけです。
これはもう人間関係の基本。
なので私が、もうひとつのメルマガ「こころざし【志】通信」を
出そうと思ったのは、
そういう「またぜひお逢いしたい!」と
思うような方々が、
私の廻りに大勢いらっしゃった、ということだからですが。
私自身が、この方々のようになれるかどうか。
そういう自分で、あり続けられるかどうか。
「日々是修行」まる。