2010年3月1日
結縁の日
・・・2月に入ってからというもの。
特に、中旬過ぎてからは急激に変化が出てきたように思う。
何より、心境の変化が顕著である。
昨年の秋ごろが第一波だとすると、今は第二の波。
昨年の秋口に考えていた流れとは、微妙に変化が出て来たのだ。
だとしたら、それはそれで、現状に対応していけばいいのだけど。
・・・んにしても、今、痛烈に感じているのは、よりシンプルになること。
より身軽になること。
さらにいろんな装備を外すこと。
たわわに実った稲穂から、一粒のモミ種が落ちたような感じだ。
そんな気分になった昨日、2月28日、京都の三十三間堂に古いお客様とご一緒してお参りしてきた。
個人的に2月28日という日は、ここ数年いつも
大きな節目の日だったから、
この日に京都に伺うのも、きっと何かのご縁だろう。
そう、4年前に私は、この日に7年を過ごした京都のオフィスを
閉じて、
一世一代の決心をして大阪へと移ったのだった。
・・・またこの日に、京都に戻ってくるなんてね。
前日は土砂降りの雨。
浄化の雨のようだった。
だけど朝にはからりと、快晴(^^)
昨日のご参加のみなさまは、大人が10名、子どもさんがお2人とスタッフと私。
広島、岡山、金沢・・・と遠方からもお運びいただいた。
「12」という数字がとても大事な キーワードだった。
最初の予定では、三つのお寺ともうひとつ、どこかの神社に
行きたかった。
それがどこなのかは分からなかった。
下見のときに見た神社に行って見たが、ピンと来ないのである。
結局、ナゾは解けぬまま、当日の朝を迎えてしまった(・・;)
で。
三十三間堂は、1001体の観音様とたくさんの国宝の仏像が安置されている。
時間を忘れて、見とれてしまう。
このお寺は700年の時を経て、今でもここに現存している。
ずらりと居並ぶ観音像。
圧巻である。
まず500体の千手観音立像。
中央に、巨大な千手観音の坐像。
さらに500体の千手観音立像。
この観音様を彫るために、当時の仏師たちは総動員されて
仏像の制作の仕事にあたったのだそうだ。
時の回廊を歩くように、静けさの中で仏像にわれを忘れて見入ってしまう・・・。
そして今日、二つめのお寺は、法住寺。
三十三間堂の裏にあるこのお寺で、拝観をお願いすると28日は法会の日だったそうで、
やさしいご住職が、ていねいにご案内をして下さった。
ご本尊の不動明王が安置されていた。
赤穂浪士にもご縁が深いお寺なのだそうだ。
快く響くご住職のお声を聴きながら、なぜか涙が出そうになった。
「結縁」という言葉をその声とともに重ねて受け取った。
結縁=仏教を学ぶというご縁をいただく日。
そしてこのご住職のお話が、大事な鍵になったのだった。
三つ目のお寺は宝積院といって、真言宗の総本山だそうだ。
金堂には、大日如来がお座りになっている。
大宇宙の中心という如来さまである。
このお寺には、国宝の障壁画があり。
千利休も愛でたお庭があるそうな。
豊臣秀吉にも縁の深いお寺だそうである。
日本人のDNAがうずくような、しっとりとしたたたずまい。
「いいなぁ。。。」としばし溜息。
音がしない。。。
余計な音がないのである。
おまけに、お寺の方が全然いらっしゃらない。
「どうぞご自由に見て行っておくれやす」てな感じである。
この懐の深さが、お寺であり、京都だなぁ・・・。
忙しい日常を過ごしていても、時々こうして心洗われる場所へとご縁をいただけるのは、
幸せなことである。
で。
さきほどの法住寺のご住職のお話では、このあたりは古くから神仏に守られている地域。
三十三間堂を建立した後白河法皇は、生涯に34回も熊野詣をしたこと。
その熊野から、石や土、木を運び込み新熊野神社を建立した。
その神社には、熊野三山に祭られている12柱の神様が祀られていること。
今日のご参加者は、子どもさんを入れて12名。
必要な場所に必要な人が全て導かれ
縁を結んだのだった。
私はといえば、新しくできた仏像カードを手に仏様たちに
このような自分でも仏の道を学ぶことをお許しいただけますかとご挨拶に伺ったような、1日だった。
「そうだ、京都、行こう」
次は4月、「立体曼荼羅」で有名な京都・東寺に伺います・・・。